「承認欲求の壁」を越える──“満たされたい自分”を理解した先にある本当の自由
人は、承認欲求がある程度満たされない限り、本当の価値観や感謝の心には辿り着けないのではないでしょうか。承認欲求をどう超えるかが、人の成長や成熟の分かれ目になる——この前提から話を始めます。
背景:やり方よりも「なぜ頑張れないのか」
部下を叱るとき、ただ正すのではなく育てる。感情と技術を分ける。人格ではなく行動に焦点を当てる——やり方はいくらでもあります。 しかし、そもそもなぜ頑張れないのかを見誤ったままでは、根本解決になりません。 多くの人が目標を持てず、ビジョンも描けないのは、まだ満たされていない承認欲求が静かにブレーキを踏んでいるからです。
問題提起:本物のビジョンはどこから生まれるのか
ビジョンは価値観から生まれます。
「自分は何が得意で、誰に喜ばれるのか。考える仕事が向くのか、支える仕事が向くのか、教える仕事の意義は何か」。
こうした内省を重ね、「ここに自分の価値がある」と腹落ちしたとき、初めてビジョンは輪郭を持ちます。
だからこそ言い切ります。
これを見つけない限り、本当の目標やビジョンは生まれません。
もし出てきたとしても、それは多くの場合、ビジョンの形をした承認欲求——
「認められたい自分」を満たすための目標にすぎません。
ここで離脱したくなったあなたへ
ここでこの記事を閉じようとしたあなたは、もしかすると承認欲求の塊かもしれません。
だって、人の価値観や自分の成長に本気で興味がないということだから。
このあと、あなたはきっとまたスマートフォンを開き、誰かの投稿にいいねを押し、刺激的な動画を探すでしょう。
——その満たされない何かを、画面の向こうにぶつけるために。
でも安心してください。これは“悪”ではありません。
人生を通して欠乏してきた部分や満たされない部分こそが、あなたの価値観の源泉になります。
その正体を見つめ、どう扱うかを理解したとき、ブレーキは外れます。ここからが、あなたの本当のスタートです。
承認欲求の本質:他者を通じて自分の存在を確かめたい
承認欲求は、発達の通過儀礼です。
他者の目を借りて自分の価値を測る時期は、誰にでも訪れます。
大切なのは、ここで立ち止まらないこと。
健全に満たされることで、やっと“他者評価”から自由になれます。
壁を越える3つのカギ
- 自己承認を積む:他人に理解されなくても、自分が自分を理解している状態をつくる。
例)「怖かったけど挑戦できた」「結果はまだでも行動した自分を認める」。この小さな自己承認が、内的安定を育てます。 - 渇きの正体を見る:「愛されたい」「存在を認められたい」「役に立ちたい」。承認欲求は“愛の未充足形”。
「私は愛されたかったんだな」と素直に認めると、次のステージへの入口が開きます。 - 誰に認められたいのかを選び直す:SNSの反応、社内序列、親や上司の期待——それは本当に自分が求める承認か?
尊敬できる人と理想の自分の視点へ軸足を移しましょう。
越えた先に現れるもの
承認が健全に満たされると、「感謝」が自然と湧き、「人のため」が苦しくなくなります。
比較よりも貢献に意識が向かい、価値観やビジョンは“考えてひねり出す”のではなく、
恐れずに語れる自由として立ち現れます。
四方よしで見る「承認の通過儀礼」
- 自分よし:他人の評価に縛られず、自分を尊重できる。
- 相手よし:比較が減り、相手にもやさしくなれる。
- 社会よし:承認連鎖ではなく、感謝連鎖が生まれる。
- 未来よし:利他と自己実現が矛盾しない生き方が可能に。
最後の問い
人は、承認欲求がある程度満たされない限り、本当の価値観や感謝の心には辿り着けないのではないでしょうか。
承認欲求をどう超えるかが、成長と成熟の分かれ目になる。——あなたはどう思いますか?
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